親への激しい憎しみがなぜ自分を苦しめるのか人生で初めて考えてみた

親に感謝しなければいけないという縛り

よく親を大事にしなさい、とか親に感謝しなさい、親との関係が治れば周りの人間関係がよくなるといった関連の言葉は、周りの人からも言われたことがあったし、インターネットで検索すればいくらでも書かれている

そういう記事を見るたびに、極度の不安に陥ったし今でも陥る

 

そういう記事を見る度に思うことは、私と母親がいつかまともな関係を築く日などこないだろう

そういう事を書ける人や、言える人は、少なからず親からの愛情があったからだろう

そういう人と自分を同じにしないで欲しい

本当に愛情が全くなかった私のような親に育てられていたらそんなこと思えないだろうに

 

私の母親は格別、世間一般から逸脱している、かなり例外

その考えから抜けた日はなかった

 

母親と私との確執はそれはすごいもので

家に帰れば「死ね」と罵り合う

とにかく同じ空間にいるだけで無理

物を投げる、蹴る

 

私の一番の口癖は「今すぐ死ね!」だった

「お前が私にやっていたことやからな」

「とにかく目の前から消えて」

「人生無茶苦茶にしやがって」

「お前が死んでも葬式には絶対行かないから覚えとけよ」

「生きてるだけ無駄、早く死んで」

 

昔私が小さい時、よく母親から何かにつけて「覚えとけよ」と言われていた

そのことを思い出して、自分がその言葉を連呼していたことに気付いた

 

それでも母親と繋がりたい願望

それでも数ヶ月に一回は数日間実家に帰るを繰り返した。

私から言わせれば書類を取りに帰っていただけだった

自分でもそう思っていた。

実際書類を取りに帰らなければいけない理由もあった

 

ただ今思い返すと、母親との関係をどうにかしなければと焦っていた。

一つは、自分が抱えている問題はどうも母親との関係からきているのではないかという感覚が拭えなかったこと、もう一つは母親とどうにか繋がりたいと心のどこかで思っていたのではと

 

その自分の感情に気付いたのは、何十年もたった最近だった

心理学の本を読み漁っていた時に、母親を分析しようと思い立った

そもそも心理学の本を読もうと思ったきっかけが、親のせいで自分はこうなったというのを心理学的に立証できる何かが欲しかった

でも自分がこうなった理由があるなら親もこうなった理由がある?

みたいなところから始まって母親と父親の分析を始めた

分析を進めていくうちに、初めて母親と父親がどういう人なのか見えてきた気がした

 

その時に母親がなぜ人の気持ちを考えられないのか、なぜ一方的なのか

そうなった理由を今までの母親の言動や行動から分析してみた

するとはっきりではないけどなんとなく生い立ちや理由が少し見えてきた気がした

 

その時に初めて自分から連絡して、電話してみた

 

やっぱり母親は一方的だったけど、自分の受け止め方が少し変わった事に気付いた

母親は変わっていないのに自分がそこまでイライラしていない

 

この感覚は人生初めてだった

 

親に感謝しないといけないなどない

あくまで私自身の考えですが、

親へ憎しみを持つこと自体が駄目なことではないと思う

 

ただ憎しみが自分を滅ぼすという言葉は確かにその通りだと今は思う

その言葉だけでは、説明不足すぎてなかなか真の意味が理解しづらいんじゃないかと思う

 

私は、親への激しい憎悪を持つこと自体がが少しアホらしく感じた

親が毒親になった経緯を見ると、親がこうなったのはどうしようもなかったのではと考えるようになったから

そう思えたのも、

自分がいかに自分で自分を分析しようとしてもどうしようもできない、自分の努力ではどうしようもできない経験があったから

 

確かに私にとって心の傷となる数々のことをされてきたけど、親が他人の立場になって考えられない以上、そこを恨んだり傷ついたりすること自体が無駄というか、意味がないことのように思えてきた

 

そこに気付いてから帰省した後でも、母親と言い争いになったことはあった

関係は良好になったわけではない

母親への期待が自分の中にはまだまだ残っている

 

それでも物を投げたり大声で叫んだりする行為は、実家に何週間かいたけど、一度たりともなかった

自分の中でそこまで感情が爆発するほどイライラしなくなったということは、今までの自分からは信じられないことだと思うし、進歩だと思う

それでも、まだ親への憎しみは相変わらず存在するし、これからも親との関わりで苦しむことはずっと来ると思う

ついさっきも電話で言い争いになった

それでいいのだと少し思えるようになった

 

 自分で自分を愛するという感覚

親から受けた心の傷は、計り知れない、かなり根深いと思う

でもこの傷は「私だから」言われたのではなく、親自身に抱えていた物があったからで、親自身の問題であって、個人的に受け止める必要はなかったんだと

もちろん小さい子供にとってそんなことは考えられない

 

それでも、それは個人的ではなかったと言ってあげられる人、それは自分しかいない

 

自分で自分を愛するという感覚が分からないし、まだまだ疑問点は多いけど

 

親の理解できない行動や言動があるたびに自分の感情が爆発する、イライラするその自分の感情は、自分を傷めているだけだと、最近気づき出したところは、自分を愛するというところに繋がっているんじゃやないかと少し思い始めました

 

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自分を愛せない人が、親になった途端に自分を差し置いて、自分の子供を愛せる能力が一緒に付いてくる訳ではない

親はこうあるべきという教え

「親は子供の世話をしなければならない」

「親は子供のためにお金を稼がなければならない」

「親は子供のために別れるべきではない」

「親は子供を愛さなければならない」

 

親になる以上当たり前のことかもしれないが、この考えに囚われ過ぎていた事が自分の親を苦しめ続けていた一番の原因ではないかと

今まで自分の親がいかに”親”として機能していないか激しい憎しみを抱いていた。

自分がこんなに生きづらいのは、きちんとした愛情を受けなかったからだろう

ただ最近、両親は、自分の親である前に一人の人間であることを考えるようになった

 

世の中に様々な精神疾患、生きづらさを抱えている人がいる中で、

自分を愛せない人が、親になった途端に自分を差し置いて、自分の子供を愛せる能力が一緒に付いてくる訳ではない

そう考えると、なぜ母親なのに罵られ、殴られたのか

父親なのになぜ行方不明になり、実の子供を捨てたのかという激しい憎しみが少し和らいだ

 

それでも親の愛情を感じられないが、痛みを少し理解するようになった

最近痛感するようになったことは、母親も父親も自身を愛する事ができないまま、誰かを愛さなければいけない立場になっていた事

 

本当は二人とも誰かのために家事をしたり、誰かのために働ける精神状態ではなかった

では何が親を動かしていたのか

なぜ当たり前のように仕事へ行ったり家事をする事ができていたのか

 

それは、親としてのプレッシャーにがんじがらめになっていたからではと

 

子供をきちんと育てなければいけない、子供がいるのに離婚すると世間が向けてくるであろう冷たい目線、世間体を守るための必死の頑張り

なぜそこまで強いプレッシャーを感じていたのか

それは、二人とも、愛情が不足していたためどちらも承認欲求が大きかったからだと

 

そうすれば今まで満たされなかった部分を認めてくれるだろう、世間に認められ、そして実の親も認めてくれるようになるだろうと

 本当は仕事も家事もできる精神状態ではないのに、自分の感情を無視して、無理やり行うことは、ますます自分を苦しめる

一番残酷なのは、そこまでしても誰も認めてくれないということ

 

この激しい苦痛の悪循環を、今の自分なら痛いほどわかる

 

 両親が自分の感情を認める事ができていたら

今の私には子供は育てられないと周りに助けを求めていいと思えていたら

周りもその声を受け止めていける環境であったなら

 

子供である自分もここまで心に傷を負わなかったのでは

 

承認欲求が強すぎると起こる悲劇

誰かに認めてもらいたいという思いが強ければ強いほど、その欲求を満たすために必死に頑張るようになる

その欲求のために、どんなに自分や他人を苦しめる事になろうと、一番欲しい承認欲求を何よりも優先する

 

紙切れ一枚に、お母さんと仲良くできなくてごめんね

とだけ残して、行方不明になった父親

なぜか音信不通になった父親の痛みの方が母親よりも理解できていた

もう何もかも限界だったんだろう

 

ただ母親の痛みも今やっとほんの少しだけ分かってきた気がする

承認欲求が強すぎて 自分が抱えているしんどさというものも気づけないんだと

自分の感情を無視しすぎて、自分が限界という事すら気づけない

 

必死に頑張った結果、家庭が崩壊した

私から言わせてみれば当たり前だと

ただ、母親は承認欲求を満たすために必死に頑張ったまでだと

それが、愛情から来る頑張りではなくても、子供からするとどんな矛盾した頑張りであろうと、その人なりに必死に頑張った結果なのだと

 人間誰でも自分が欲しいものを欲するのは当たり前だと

 

自分を愛せないと他人を愛する事はできない

今までの強烈な親への憎しみは、

親である前に一人の人間であること、いかに親自身が愛情不足であったかという事を考え出すようになってから少しだけ和らいだ

 If you can't love yourself, You can't love others

 「自分を愛せないと、他人を愛することはできない」 

 

有名な言葉だけど本当にそうだと感じる 

友情、恋愛だけに限らず、夫婦間でも同じこと

それが例え自分の子供であっても

 

自分を愛する事ができれば自然と自分の子供も愛する事ができる

子供を愛さなければならないではなく、自然に愛したいと思う

子育ても、人生も、本当はそれだけシンプルな気がしてきた

  

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他人からの態度や言葉を全て個人的に受け止めてしまう

個人的ではなかった出来事

他人からキツイ言葉を言われたり、冷たい態度を取られる度に、毎回思うことは、

自分だから

と考えること

もちろん実際自分だから、自分だけに言われた状況は今まで散々あった

 

ただ最近、全ての事柄が必ずしも個人的ではないこと、自分だけに起きたものではなかったと考えさせられた出来事があった

 

「あなたはたぶん海外の方があってるんじゃないかなー、日本社会は協調性がないとやっていけないからね」

 

ある日、あまり話したこともない人に突然言われて、バカにされている感じで、かなり憤慨していた

 

すると後日、別の人たちが、その人の噂話をしているのがたまたま耳に入った

「あの人は人をバカにしているところがあるよね、将来どこかで躓くと思うけど。

つい最近上司ともかなり言い争いになったらしいよ。しかも、もうその人とは仕事の時でも話したくないらしいよ」

 

その人は、特別自分だけにきつい言葉を発した訳ではなく、他の人にも同じような態度を取っていた

その瞬間溜まっていた怒りが半減された

いつも自分が感じる怒りというのは、言われた言葉に対する怒りではなく、全てを個人的に受け止めていることからくる怒りが大半を占めている

 

その人自身の性格や問題であって、いちいち個人的に全てを受け止める必要はない場合でも全て個人的に受け止めてしまう

 

もし個人的に受け止めていなければ、

”この人は人をバカにするところがあるんだ、この人自身にも問題があって、癖がある人なんだ”

と周りの人と同じように受け止められたのに

そうすればその人や言葉に腹が立つということがあっても、自身に対する激しい怒りや、バカにされたという怒りを伴わずにいれるため、もっと自分が楽なのになぜ毎回そういう風にしか捉えられないのかと

 

わかっていてもコントロールできない感情

最近ある宿泊施設に泊まった際、私の返しになんの反応も示さなかったり、目が合うとそらしたり、質問してもまともに答えなかったり、冷たい態度を取るオーナーがいた

 

自分だけがそう感じたわけではなく、他の宿泊者も、そのオーナーを悪く言っていた

「あまりにコミュニーケーション力がなくてびっくりしたよ

 話し始めて5分たっただけで話すのが嫌になったよ

質問してきといて返事をしても返しがない」

 

きっと自分に自信がないから上からな態度を取られていると思っていたと言うと

「あなたがそう感じているなら、その可能性もあるかもしれない

ただ彼は変わっているから、あなたの自信とは関係ないと思うよ

個人的に捉える必要なはいよ。私も彼と会話をするのが難しいと感じるから」

 

そう言われていたため、気にしないようにしていたが、それでもオーナーのある態度がきっかけで、最終的に溜まっていた怒りを抑えきれず、軽い言い争いになった

 

今回の場合、事前にその人の癖や性格をわかっていた

その情報があったにも関わらず、それでも自分の感情をコントロールできなかった

やはり、全て個人的に捉えてしまう

 

私がこんなんだから、この人はこんな態度になんだ

私がこんなんだから、この人はバカにしてくるんだ

私がこんなんだから、この人はきつい言葉を発してくる

私だけに、、

 

その考えが染み付いていて、毎回何かある度に、全身に激しい怒りが込み上げてくる

 

嫌なことを言われて腹が立つという怒りは、誰にでもありえる感情

ただ自分がこうだから相手がそういう態度になったという怒りは、激しい自己嫌悪、怒りを伴う

 

毎回自分だけと捉えることが、いかに自分を苦しませているか

 

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ただ今の自分に本当は言ってあげるべき言葉は、

「どんなに変えようとしても、過去のトラウマから、その考え方の癖を脱ぎ去ることができないんだよ

考え方の癖は、自己肯定感と繋がっているからね

あなたにはこうならざる負えない深い理由がちゃんとあるんだよ」

 

それにしてもいつかこの悪循環な考えから逸脱できる日がくるのだろうか

 

 

 

 

どこに行っても自分にだけ当たりがきつくなる

今までの人生で、自分にだけ態度がきつい人に幾度も遭遇してきた

学校や職場、集団行動が必要な場所などで、自分にだけきつい

 

特に上司、教師などみんなをまとめる立場にある人たちからそういう仕打ちを受けることが多かった

「確かに〇〇さんにはきつかったよね...もっと言い方あったよね...

◯◯さんと馬が合わなかっただけだよ...◯◯さんのことが嫌いだと思う」

 

周りから見ても、不可解に自分にだけきついと思われる状況が多い

その度に、激しい怒りと言いようのないやるせなさ、孤独感を覚える

その度に自信のなさがより一層深みを増していくなんとも言えない感覚に襲われる

 

「〇〇さんはちゃんと仕事をしてくれてた。上の評価基準がよく分からない。

きっと◯◯さんを重宝してくれる職場が見つかるよ。」

 

「同じ職場でも自分にだけ厳しい人いたよ。

私も昔、ちゃんと仕事をしていたのに、自分ばかり指摘されてトイレに行って泣いてたことがあったよ。」

 

そうやって慰めてくれた人がいた

でもその人は、今は違う。

私は昔も今も何もかも自分を取り巻く状況が変わらない

 

あと何回この結果を経験すればいいのか

同じミスをしてもなぜか自分だけいつも指摘される

自分には厳しく、しんどくなって辞めるというそんな職場環境を何度も経験してきた

 

自分にだけきついと感じるのは考えすぎとか、被害妄想と言った同僚もいた

ただその同僚でさえ、最後には、確かに自分にきついことを認めたこともあった

 

毎回同じ状況になるということは自分に非があるに違いない

そう思って自分なりに色々努力を務めた

なんとなく最近考えることは、自分に非があると思えば思うほど人が自分の非をつついてくる感じがする

 

 

キャリアも形成できず、人間関係も形成できず、家族愛もなく、人生の目的も分からない

ただ、どんなに分析して改善を計ろうとしても、状況が何も変わらないという恐怖と絶望感

仕事を始めるのも何もかもが怖い

また同じ状況になるのが目に見える

 

ゆういつ最近気づいたことは、自分には助けが必要で、いくら自分で分析して改善しようとしても自分で自分の傷を癒したり、欲求不満を満たすことはできないこと

 

誰も信頼できないと思っていても、自分で自分は大丈夫だと無理やり言い聞かせるのではなく、カウンセリングが必要と感じているなら、今すぐ受けるべきだと思った

 

 

毒親が形成されるまで

自分の生きづらさの背後にあるのは、毒親

ただ毒親に生まれ持ってなった人はいないと思う

自分の親も生まれながら毒親になったわけではないと信じたい

 

自分の母が、毒親になった経緯を知っていきたい

そうすることで少しは冷静に母を見ることができるから

 

幼少期に満たされなかった承認欲求

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まず自分にとって母は、自分のお母さんであるという感覚がない

むしろ少女のままという印象を受ける

少女のまま時間だけが過ぎてしまった感じで、考え方や行動が幼く、異常なまでに自信がない

ただ何よりも母を不幸にさせているものは、母の母親への承認欲求であると思う

承認欲求というのは、非常に大切で、幼少期にうまく満たされていないと、生涯に渡ってその欲求に翻弄され、死ぬまでその欲求を追い求めことになる恐ろしいものであり、この承認欲求がいかに自分の母を翻弄させ続けているかについて最近考えることが多い

欲求が満たされなかったために、少女から女性の段階にいくことがなかった

母が結婚して子供を作ったのも、親に認めてもらいたいという欲求からだと言っても過言ではないと思う

50年以上たった今でも、何をするにも、母親からの承認が必要で、小さい子供が母親から離れることができないのと全く同じ状況に見える

例えば、実の兄弟に電話をかけるべきか否かも承認なしにできない、何時に母が帰宅するのか、とにかく何から何まで全て母親に電話をして報告をする

 

幼少期に満たされなかった承認欲求を実の母親に満たしてもらうため、50年たった今でも日々死に物狂いで頑張る

ただいくら頑張っても、幼少期に認めてくれなかった人がいつか自分が満たされるような認め方をしてくれる日は、何十年たってもこない

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母はそこに気づくことができない、むしろ気づく日が来ることは一生ないだろう

もちろん実の母親に認めてもらえないというのは悲しすぎる現実

 感情を押さえつけられた状態で大人になる

私が10才ぐらいの時

窓の隙間風のような音がするなと思い、音を辿っていくと、洗面所のシンクに母が顔を埋めて唸るように泣いていた

その時溢れ出ていた底なしの悲しみを感じて、子供ながらにぞっとしたのを覚えている

 

世間一般的なまともな人生を送らなければいけないという概念は、母の母親から散々擦り込まれてきた

 

ただ自分の感情を大切にせずに、この概念のもとだけに生き続けるとどうなるか

今でもそうだが、私が幼少期の頃、母はとにかくいつもイライラしていた

なぜいつもイライラしているのか、本人は理由が分からない

むしろイライラしていること自体気づかない

 

自分に自信がない母は、外でそのイライラを発散することは決してなかった

家の外というのは、世間体そのものであり、恐ろしい場所

そのとてつもない膨大なイライラ、不安、やるせなさを家の中で発散していた

それもほとんどを無意識に行なっていたんじゃないか

 

何十年も同じ思考回路でいると、なぜ自分がしんどいのか何かなんでなんなのか分からなくなるんだと思う

全てがごちゃごちゃで、自分の感情すら分かっていないから、それを子供や家族に当たり散らしていることももちろん気づかない

気づけば全て崩壊していた

 

 本人にしてみれば死に物狂いで頑張っていた

ただ子供、つまり私にとっては母の頑張り全てが毒だった 

私が母親に愛情を感じられなかったのは、ニュースで見るような、ネグレクトをされたからではない。

 散々暴言を吐かれ、手を出されても、ご飯を作ってくれたり、一般的な家事はしてくれていた。

それでも、母との絆を感じられず、感謝できない自分に対して罪悪感に苛まれることが今でも多々ある

 

母に感謝しなければと思えば思うほど、私が求めていたものは、何一つ満たされなかったと心が叫んでいる

 

 

人と関係が深まる感覚

よく初対面で緊張するという感覚は、人間誰でもあると思う

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ただ時間を一緒に過ごして行けば、だんだん慣れていって距離も近くなっていく

お互いに打ち解けていく

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これが私の今までの人生にない

 

恋愛も同じで、最初の印象は良くても、お互い一緒に過ごしていくうちに、どんどん仲が深まっていくというプロセスがない

むしろ初めの印象の方がよかった

むしろ初対面の方が得意

 

お互い一緒に過ごせば過ごすほど、気まずくなっていく

自分でもこれが、何故なのか分からない

 

自分に何が足りていないのか、何故いつも気まずくなるのか、自分なりに分析して、きっと人を好きになれていないのだろうとか、人に依存しすぎてしまっているのだろうとか考えて、人をもっと好きになろうと努力した

 

ただその努力をすればするほど、心のどこかが不調を訴える

 

今でもそう。自分の心の叫びを無視して、必死に社会適応を図る

でも結局いつも同じ結果に終わる

何がそこまで自分は人と違うのか 

あと何回人生で同じことに遭遇するのか

そうなる根底に自分の人嫌いが渦巻いているのか

ただ単なる対人緊張ではなく、自分にはもっと深い何か別の原因がある

極度の恥ずかしがり屋とか、コミュニケーションが苦手とか、そういったレベルではなくて、

自分にはもっと奥がある

 

人が嫌いだけど人が必要、これが自分の人生を悲しいものにさせている

 

人間関係を深めていくことは、人生の楽しみでもあると思う

 

家族、学校、アルバイト、大学、仕事

生まれてから死ぬまで、人間関係は存在するから

でもこの楽しみが自分には全くない

 

よくFacebookなどの投稿で、卒業式、仕事最終日などにみんなで集合写真を撮ったり、花束や手紙をもらったりして、楽しそうにしている姿をよく見る。

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自分が欲しい光景はまさにこの画

今まで、学校の卒業式や、仕事の最終日などにいつも味わう感覚は、

やっと終わることの嬉しさ、苦しいのに頑張った変な達成感でしかなかった

例え集合写真の中に自分が入っていたとしても、その中にいる人たちと関係が深まった感覚がない

なぜみんな涙を流すまで感きわまる人もいるのか、なぜ自分は何も感じれないのか、ただ悲しくなる

 

最近、友人とご飯行った時に、「いつか自分の子供が欲しい?」て聞かれた。

「いつかは欲しいかな。でも自分みたいにだけは絶対になって欲しくない」

 

人生の楽しみが何もない人生をずっと送る苦しみを味わいながら生きるほど人生辛いことはないから

 

 

過剰な空想癖とフラッシュバック

Daydream"空想" 

自分が発達障害ではないかと考えるようになった理由の一つは、"空想"が止まらないこと。

音楽をイヤホンで聞きながら歩き回り、現実を忘れて、自分の理想の世界に浸るのが好き。

最近は少なくなったが、自分の部屋にこもり、カーテンを閉めて、扉も閉めて、イヤホンでマックスヴォリュームにして、部屋の中を歩き回りながら音楽をよく聞いていた。

気づけば、最長で3~4時間くらいずっと部屋の中を歩き回っている時もあった。

今でも、出かける際には必ずイヤホンをして音楽を聞きながら歩く。そうすることで、自分の理想の世界にふけることができるから。

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音楽のメロディーが好きとか、音楽を楽しむという感覚ではなくて、音楽を聞きながら妄想することで、

理想の自分を疑似体験した気分になれ、その感覚がやめられない

 

現実世界で見る社交的で人気者な人達や、ドラマで見た主人公から、自分が思い描く理想の人物や、理想の場面を作り上げて、まるで自分がその人物になり、またその場面に実際にいるような感覚の空想を始める。

 

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また、普通に通りを歩いている時に無意識に空想し始めたりする。

誰かの視線を感じるか、自分でふとした瞬間に気づいて意識が戻ってくる。

 

空想癖は、ADHDの特徴とも言われている。

でも最近思うのは、自分が無意識に空想しだす理由は、発達障害うんぬんよりも、現実の自分が嫌過ぎて、理想の自分に浸ることで、痛みを忘れさせる時間を設ける自己防衛な気もしてきた。

 

Meladative Daydreaming(MD) "過剰空想"

心理学的にも説明がなされているらしく、どうやら自分の症状にも原因があることが少し分かった。

フラッシュバック

辛かった体験を、今まさに再体験しているかのように、辛かった時の感覚や視界が蘇えってくる

いわゆるフラッシュバックと言われるものだと思う

今日も、誰かと話をしていて、話が終わった直後の沈黙がある時間に、無意識に自分の悩み事の世界に行ってしまう。

 

大丈夫?と言われて

自分が自分の世界にいたことに気づいて戻ってくる 

自分の行動を後悔する

誰かと一緒にいる時に自分の世界に行ってしまったことに後悔する

 

また自分が嫌になる

このスパイラルは変わることがないと思う

 

どんなにしたくなくても自分が無意識にしてしまう、コントロールできないことを後悔したり、また自分をもっと嫌いにする要素にしても仕方がないということを自分が自分に分かってあげることが大事と分かっていてもまた自暴自棄になる

負のスパイラルが止まらない