みにくいアヒルの子と愛着障害

1週間に一回更新できるように頑張ります

どんな仕事にも、対人能力は必須

 

 どんな仕事でも、コミュニケーション能力、対人能力は必須

社会に出れば当たり前の事

 

チームワークを大切にできる方

コミュニケーション能力のある方

人と接するのが好きな方

 

どの求人票にもだいたい同じのような事がのってる

たまたま運よく愛された家庭に育った人は、まんまとパスできる箇所

 

愛情がない家庭に生まれたばっかりに、情緒の成長ができないまま大人になってしまい、社会に出て死ぬ思いをする人たちもいる

あまりにも辛い過去があったために、自分を守るために人を嫌いになるしかなかった人もいる

特に集団欲が強い日本では、ますますひとりぼっちになり、死にたくなる

 

うまく働けてる人たちが死ぬほど羨ましい

当たり前のように、明日仕事だるいって言いながらも同僚の人と飲みに行ってる人たちが死ぬほど羨ましい

私は、仕事が耐えられなくなっても、一緒に飲みに行く同僚もいない時もあった

 

お前らと私の違いは、努力の違いなんかぢゃない

本当に運が良かっただけ

そう言うと、甘えるなという言葉が投げつけられるような日本社会の空気

そんな人たちに、面接などで篩に掛けられること自体が腹たつ

お前らが想像絶するはるかの苦しみを自分は受けてきたって思う気持ちが強くなる

 

世の中に敵対心を持つ

引きこもり100万人もいる中で、なんで精神的な痛みに対する対策がなされないのか

その人たちがそうなってしまった背景に一切興味はないのか 

 

一度躓くとそれで問題があると見なされるのか

ストレスコーピングは自分次第なのか

どんなに辛くても、家族誰一人信頼して相談できる相手もいない人が、情緒不安定になるのは本人の問題なのか

はいその通り本人の努力次第だって平気で言える人たちもいる

 

そういう人たちが人事になって、この世の中の矛盾をどんどん作り出していく

こういう人たちがみんなまとまって死ねばいいのにって思うほど、そういう事を平気で言える人が羨ましい

 

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自分の存在があるかないかの葛藤

 〇〇さんの生きづらさは何ですか?

困惑したような感じで質問されたことがある

 

でも質問に対して、どう答えれば良いか分からない

とにかく、自分がここに存在していいのか、というか、存在しているのかいないのかが分からない

周りに興味を持とうと思っても、まるで映画の世界のように、人ごとに見える

自分とは違う世界

同じ世界にいるはずだけど、違う世界に降り立っている感覚

すざましい孤独感

 

周りの人が楽しそうに話している時、まるで違う世界を見てる感覚になる

眠気が襲ってくる

 

周りと同じようになりたくても、自分はそもそもこの世界と繋がっている感覚がない

自分はどこか別のところから来て、ここに間違えて降り立ってしまったような感覚

 

私はたぶんちっさい時からこの感覚と共に生きている

それがどれだけの孤独を抱えているとしても、それが当たり前

この孤独感から抜け出すという考えも、なかった

 

カウンセリングを重ねて、最近この感覚をひしひしと感じるようになった

これは、いい兆候なのか、ますますひどくなっているのか、やっと現実を見るようになったのか、いろんな考えが巡ります

 

今日は、帰り道2駅分歩いて帰りました。

高層ビルが立ち並ぶ通りの中の、超大企業のビルを見て、

自分がもし、この企業に入れたら、それが自分の幸せな人生なんだろかって思いました

 

キャリアがないことを毎日嘆いている自分ですが、もし、この巨大ビルの中に入れたら、自分はもう死んでもいいと思えるぐらい勝ち組になった気分になれるんだろうかって

周りに、自分の就職先を言いふらして、周囲から憧れの目で見てもらう自分、認められている自分、輝いている自分を想像しました

それとも、死ぬほど自分に劣等感を与えているキャリアを手に入れたとしても、結局今と同じ生きづらさを感じたままなのか

 

この大企業だって、所詮人間が作り出した序列と産物に過ぎない、とも感じました

でも、この考えは、今社会の負け組と感じている自分を守るための言い訳を必死にしているからなんだろうかって考えながら歩いていました

 

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愛情を注いでくれる場所があって初めて心が成長できる

台風が来てて、家の中にいるしかない週末です

ただでさえ、家の中にいると病むのに、どうしようもないですね

過去最大とも言われているみたいですが、、

みなさんはどのように過ごされていますか。

 理想の家族

こないだ、駅まで歩く坂道の途中で、親子三人で手を繋いで、家路に付いている人達がいました。

すごく自然に会話をしていて、子供も楽しそうに話していて、とにかくただ羨ましかったです 

そういえば、私の母親と父親は常に会話が成り立っていなかったなと思い返しました

自然に会話をしている時が一度でもあったのかと

 

精神疾患のために、なぜ薬の開発ばかり注力が注がれているのか

社会がこんなに発達していて、こんなに便利な世の中になったのに、精神面のケアにおいては、薬の開発ばかりに注力が注がれているように感じます

こんなに便利になったのに、いろんな精神疾患を持っている人がますます増えてきています。

それを甘えだという人もたくさんいます。

確かに甘えもあると思いますが、それだけでは説明がつかないこともあるのに、甘えだけど処理されてしまうのは悲しいと感じます

 

もし、幼少期を擬似でもやり直せる施設ができたなら、これまでどんな薬を飲んでも効かなかった人達のうつ病がよくなるんじゃないかってそんな事を最近考えるようになりました

 

何歳になっても、子供のままの人がいます

これは、ある意味説明がつくのかと

何歳になっても、考え方が幼いのは、認知の問題もあるのかもしれません

でもこれは、時間が経てば解決できることではないのかもと最近考えるようになりました

「もう大人なんだから」

これは、一番突き放す言葉なのかもしれません

  

もう一度子供時代に必要だった愛情を注いでくれる場所があれば、その人が大人になれるのかもしれません

逆にいうと、それが雄一の方法で、大人なのに、なぜこんな幼稚なのかと、捲し立てられればられるほど、逆効果なのかもしれません

ただ周りが言いたくなる気持ちもすごくよく分かります

 

私は、もう大の大人の年齢ですが、自分が求めているものは、母親と父親の愛情です

寝る前も、起きてからも、こんなお母さんがいたらとか、こんなお父さんがいたらと妄想を膨らまします

そんな自分をまた恥に思います 

ただ、それを人に言ったところで、煙たがられるか、いい加減にしろと言われるだけと分かっているので、自分の痛みを分かってくれる心理士の人を擬似の安全基地とするのがせめて自分にできる精一杯の事かと

擬似でもそういう場所があれば、立ち直れる人がこの世の中にたくさんいるのかもしれません

 

私の母親がある時知人にこう言ったそうです

「薬をどんなに飲んでも聞いてる感じがしない」

薬は、お酒と同じというと、怒る人もいそうですが、私からすると、頭をぼーっとさせたり、少し高揚感を与えるだけで、結局心の底にある悲しみや絶望感は何も変わらないと思います

それでも、その高揚感がないよりはましと思って飲んでる人もたくさんいる

心の底では、薬が効果を発していないというのは、分かっていても

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敵か味方かでしか人を判断できない

この人が敵か、味方か判断をする材料は

自分に構ってくれるかどうか、自分に優しいかどうか

 

それ以外に自分からこの人はすごいな、と考える余裕がない

この人なら自分から仲良くしていきたいなとか、この人と仲良くなりたいとかがない

誰でもいい

 

とにかく寂しい

予定が入ればそれでいい

誘ってくれるなら誰でもいい

とにかく一人で過ごしたくない

多分それだけ

 

全ては自分の側に立ってくれるかどうか

毎回のパターンですが、自分の味方だと思っていた人が、少しずつ後ずさりしていく、離れていかれる

 

初対面はあんなに話が弾んだのに

自分が何か失礼なことを言った訳でもないのに、時間が経つにつれて溝が見えてくる

ヨソヨソしくなる

 

味方だと思っていた人が敵になる

みんな敵になっていく

 

だからまた新しい人を探しにいく

同じことが起きる

 

それが起きる度に、自分がその人を好きになってないから、向こうも自分のことをなんとも思わないんだと、鏡の法則だからと

 

その人を好きになろうと努力をしたけど何も変わらなかった

親友はできなかったし今もできない

 

大丈夫、いつものパターンだから大丈夫

心が悲鳴を上げても何事もないように過ごす

 

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親は子供を愛している前提という概念

なぜ親に愛情を感じられないのか

私は親から愛情を感じれたことがありません

こういうと、「何を贅沢な」とか、「気づいていないだけ」と言う人もたくさんいるでしょう

仮にそうかもしれないですが、この記事では、親に感謝するのは当たり前という世間一般論から離れたいと思います

 

ある時言われたことは、

「あなたの母親はあなたを愛しているよ」

ある時は

「愛情が伝わりにくい家庭だったのかもしれないね」

「そうですね」

その場しのぎの意見返し

それでも頑固な自分の心の叫びは違った

 

 あなたが私になってみないとわからない

愛情が伝わりにくいのでなくて、ない

 

母親の知り合いに、

「もう少しお母さんに優しくしてあげて、そうじゃないとお母さん壊れてしまうよ」

と言われた事があった

「大学費用は親に出してもらったの..?」

「はい...」

 とてつもない怒りと憎悪が自分の中に沸き起こった感覚を今でも覚えてる

私が受けた苦しみはお金の問題ではないと叫びたかった

そう考えると同時に罪悪感に苛まれる

 

「本当に愛情がなければ、お金なんて出さないよ」

そうなると、愛情をここまで感じられないのは、自分の認知が歪みすぎているのか

小さい時の記憶をどうにか辿っていっても、自分が父親、母親とも両方繋がっている感じが昔からなかったし、今もない

 全ては義務感から来る頑張りだけで子供を育ててしまった

私からはそういう風に映る

それに加えて、本人が無自覚であるのが、また私を絶望感に苛ませます

 

そう、でも悪気はなかった、仕方がなかった

親自身も愛情に飢えていたから 

そう捉えようと必死に頑張っても心の底の欲求は溜まったまま

 

心の成長は、安心感を体験して初めて得られる?

最近よく思うことは、得るものを得れないと人間は成長できないのではと

ゲームで、あるアイテムを取らないと、次のステージには確実に上がれない

人間の心も同じと言っても過言ではないのかなと

 

無理やり、ないものをあるように頑張ったところで、無理やり、親を理解しようとしたところで、時間が経過したところで、心の成長が次の段階に進むことはあり得ないのかと

ただ、ここで壁につまづく

当の親にこのアイテムを与える能力はない

 

最近行ってる心理士の先生に、「ここが仮の安全基地だとしても、それはとても意味があることで、ここで安心して自分の感情を出していってください」

そう言われた時、体のどっかが少し軽くなった感じがしました

自分が一番望む形出なくても、そういう場所を作ることはとても大事なんだと考えるようになりました

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自分の生きづらさと親の生きづらさの原因は共通している

死んでも親みたいにはなりたくないと言うのが自分の一番の支えだった

母親を見る度に、社会性がなく、世間のつまはじきである姿が映り、この人が自分の母親であるというだけで嫌悪感が湧きました

 

母親のようになると、社会から疎外されて、軽蔑されて、社会のゴミになる

だからこそ、母親のようになりたくないという恐怖心に煽られます

最近、母親をよく観察するようになってから、あまりにも自分と共通点が多すぎて、母親と自分は実はそっくりなのではないかというのが、疑問ではなく、確信に変わってきたため、ショックで絶望感に苛まれたことがありました

 

母親が常に世間体ばかり気にして、世間と同じようになることに重きを置きすぎている考えをひどく嫌っていましたが、結局自分も母親と同じような目線で世界をみているのではと気づきました。

 

社会に受け入れられることがそんなに大事なのか

なぜ母親はそのままではダメなのか

 なぜ死んでも母親のようにはなりたくないとまで考えるのか

 

それは、単に母親への恨みだけでなく、恐怖から来るものもあると思います

だから常に、このままの自分ではダメだから、何か行動を起こさないと、何かをしないとと焦っています

そこに自分がやりたいからとか、興味があるからという動機がないというか、あるのかないのかも分からない

焦りから何かを始めて、結局本当にそれがやりたかったのかどうかも分からない

からしんどい

何をするにしても、自信が持てないし、形式でしかない

 

私は、それを今までも今もずっと繰り返しているような気がします

こないだのカウンセリングでは、

「まずそこに気づけただけでも第一歩ですよ 

自分がしんどいことに気づけない人もいますから」

その言葉を言われた時に、真っ先に母親が浮かびました

 

なぜ母親がこんなにも常にイライラして、他人に厳しいのか

母親自身が自分を認められないから、特に自分の子供である私にここまで厳しすぎるのか

 

自分自身が持つ恐怖に自分の生きづらさが隠れている

最近読んだ心理学の本に書かれていた事です

 

母親も私も苦しめているのは、そこなんじゃないかと

全ては社会から受け入れられるため

全ては人から受け入れられるため

 

人間の三大欲求に、集団欲が入っているとする人がいるそうです

www.motivation-up.com

周りと同じでないと不安、恐怖が押し寄せてくる

 

私の場合、周りと少しでも違うとそれだけで生きにくくなる日本社会を恨む一方で、周りと違うことを異常に恐れている自分もいて、この感情が常に戦っているからしんどいのかと思います

社会の矛盾を恨みつつも、恐怖から、自分もその矛盾に従おうとしている矛盾

 

絶望感しかない中で、ほんの少しの光が見えた気がする考え方のシフト

「 社会に受け入れられたいとか、世間的にちゃんとした人になりたいと思うことも健康的な感情であるし、逆にそこに逆らう感情があるのも健康的だと

そのどっちかの感情でなくてはならないと思う必要はなくて、そういう感情が両方自分の中にあっていいんですよ」

 

心理士の先生にそのようなことを言われた時に、心のどこかで少し落ち着けた感じがしました

まだ、絶望感がほとんどで、ほぼ焦りでしかないですが、自分のことを理解していく第一歩だと考えたいです

 

 

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自分が1番落ち込むことは、どこに行っても自分が軽く扱われること

この空間で自分だけきつく当たられている感覚がいつも一番辛い

最近、学校の授業を受ける際に、

自分への言い方がきつすぎる教師がいる

 

遅刻もしない、宿題もちゃんとまじめにやってくる、授業もまじめに受けるのに、とにかく何かしら欠点を見つけて指摘してくる

他の人には、気を使って褒めることが多い

自分はとにかく気を使われずに、軽くあしらわれて、揚げ足を取るような態度をとられる

 

ある生徒:ねー、〇〇は今日何勉強したらいいー?

教師:今日はねー、これを勉強してみようかー

   私〇〇と気が合うのよねー

でも〇〇やる気なくなると、来なくなっちゃうのよねー

心配だからちゃんと来てねー

 

自分はまじめにやってるのに、評価されない、それは今までずっとそう

その子は、まじめにやってないし、物をよく忘れてきたり、遅刻したり、課題もやってこない、やる気もないのに、好かれて、評価される

 

その矛盾が何よりも腹立つし、やるせなさを感じさせる

 

どこに行っても、だいたい同じ目に合う

ということは、自分に原因があるのか

 

私がその教師

を心の中で差別しているから向こうもそういう目で見てきて、結果そういう扱いになるのか。

 

だから、そういう目で見ないように必死に努力をした

 

もちろん媚びたり、ごますりは昔から得意でないというか、全くできない

仮にそれができないのが原因だったとしても、媚びたりゴマすりを全くしない人は自分だけではないので説明がつかない

 

しかもその人は普通に扱われている

 

いつも自分にだけきつく当たられる環境は、今回だけではない

何年か前の職場で、病的に仕事ができない人がいた

仕事の引き継ぎの時、その子が書いたメモが散乱していて、しかも何を言いたいのか分からない上に、余計に仕事を増やしてしまうことが多かった

周りも自分も、影でその子の悪口を言うようになったけど、上が恐ろしいほど優しかった

 

ただその上司は、私が少しでもミスをすると、問い詰めてくる

とにかく言い方がきつすぎる

それは自分だけが思っているのではなく、周りも感じて口にしていた

 

「あなたは、ちゃんと一生懸命真面目に仕事やってるのに、あの言い方はないよね、そらあんな言い方されたら腹たつよね、、、しかも、あの子には、何であんなに甘すぎるんだろうね」

 

 

それがずっと今までの人生で繰り返されている

このサイクルは死ぬまで続くなら、生きている意味があるのかと考えたりします

 

「あまり、人からどう思われているかを気にしない方がいいよ」

この言葉は、今まで、いろんな人に言われてきたアドバイス

 

最初は、気のせいじゃないのかなーとか言っていた人でも、次第に、「もう気にしないのが一番だよ、仕方ないよ」というアドバイスに変わる

 

心療内科に行くようになって、意見を求めたところ、

恐らく母親との拗れた関係がそのまま、別の人と繰り返されているのが原因ではないかと言われた

納得できるところはあるけど、自分でどうすることもできない

 

自分がますます人嫌いになり、ますます社会に恨みを持つようになる

どう足掻いてもこういう扱いから逃れる手立てはなく、受け入れるしかないのが現実だと考える度に、自分の中に怒りがますます蓄積されていく感覚があります

 

ニュースなどで、今まで大人しかった人、真面目だった人が急に事件を起こしたニュースを見るたびに、ひどく共感できるし、いつか衝動的に自分も何かを起こす日が来るんではないかと思ったりします

 

 

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