みにくいアヒルの子と愛着障害

1週間に一回更新できるように頑張ります

愛情を注いでくれる場所があって初めて心が成長できる

台風が来てて、家の中にいるしかない週末です

ただでさえ、家の中にいると病むのに、どうしようもないですね

過去最大とも言われているみたいですが、、

みなさんはどのように過ごされていますか。

 理想の家族

こないだ、駅まで歩く坂道の途中で、親子三人で手を繋いで、家路に付いている人達がいました。

すごく自然に会話をしていて、子供も楽しそうに話していて、とにかくただ羨ましかったです 

そういえば、私の母親と父親は常に会話が成り立っていなかったなと思い返しました

自然に会話をしている時が一度でもあったのかと

 

精神疾患のために、なぜ薬の開発ばかり注力が注がれているのか

社会がこんなに発達していて、こんなに便利な世の中になったのに、精神面のケアにおいては、薬の開発ばかりに注力が注がれているように感じます

こんなに便利になったのに、いろんな精神疾患を持っている人がますます増えてきています。

それを甘えだという人もたくさんいます。

確かに甘えもあると思いますが、それだけでは説明がつかないこともあるのに、甘えだけど処理されてしまうのは悲しいと感じます

 

もし、幼少期を擬似でもやり直せる施設ができたなら、これまでどんな薬を飲んでも効かなかった人達のうつ病がよくなるんじゃないかってそんな事を最近考えるようになりました

 

何歳になっても、子供のままの人がいます

これは、ある意味説明がつくのかと

何歳になっても、考え方が幼いのは、認知の問題もあるのかもしれません

でもこれは、時間が経てば解決できることではないのかもと最近考えるようになりました

「もう大人なんだから」

これは、一番突き放す言葉なのかもしれません

  

もう一度子供時代に必要だった愛情を注いでくれる場所があれば、その人が大人になれるのかもしれません

逆にいうと、それが雄一の方法で、大人なのに、なぜこんな幼稚なのかと、捲し立てられればられるほど、逆効果なのかもしれません

ただ周りが言いたくなる気持ちもすごくよく分かります

 

私は、もう大の大人の年齢ですが、自分が求めているものは、母親と父親の愛情です

寝る前も、起きてからも、こんなお母さんがいたらとか、こんなお父さんがいたらと妄想を膨らまします

そんな自分をまた恥に思います 

ただ、それを人に言ったところで、煙たがられるか、いい加減にしろと言われるだけと分かっているので、自分の痛みを分かってくれる心理士の人を擬似の安全基地とするのがせめて自分にできる精一杯の事かと

擬似でもそういう場所があれば、立ち直れる人がこの世の中にたくさんいるのかもしれません

 

私の母親がある時知人にこう言ったそうです

「薬をどんなに飲んでも聞いてる感じがしない」

薬は、お酒と同じというと、怒る人もいそうですが、私からすると、頭をぼーっとさせたり、少し高揚感を与えるだけで、結局心の底にある悲しみや絶望感は何も変わらないと思います

それでも、その高揚感がないよりはましと思って飲んでる人もたくさんいる

心の底では、薬が効果を発していないというのは、分かっていても

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敵か味方かでしか人を判断できない

この人が敵か、味方か判断をする材料は

自分に構ってくれるかどうか、自分に優しいかどうか

 

それ以外に自分からこの人はすごいな、と考える余裕がない

この人なら自分から仲良くしていきたいなとか、この人と仲良くなりたいとかがない

誰でもいい

 

とにかく寂しい

予定が入ればそれでいい

誘ってくれるなら誰でもいい

とにかく一人で過ごしたくない

多分それだけ

 

全ては自分の側に立ってくれるかどうか

毎回のパターンですが、自分の味方だと思っていた人が、少しずつ後ずさりしていく、離れていかれる

 

初対面はあんなに話が弾んだのに

自分が何か失礼なことを言った訳でもないのに、時間が経つにつれて溝が見えてくる

ヨソヨソしくなる

 

味方だと思っていた人が敵になる

みんな敵になっていく

 

だからまた新しい人を探しにいく

同じことが起きる

 

それが起きる度に、自分がその人を好きになってないから、向こうも自分のことをなんとも思わないんだと、鏡の法則だからと

 

その人を好きになろうと努力をしたけど何も変わらなかった

親友はできなかったし今もできない

 

大丈夫、いつものパターンだから大丈夫

心が悲鳴を上げても何事もないように過ごす

 

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親は子供を愛している前提という概念

なぜ親に愛情を感じられないのか

私は親から愛情を感じれたことがありません

こういうと、「何を贅沢な」とか、「気づいていないだけ」と言う人もたくさんいるでしょう

仮にそうかもしれないですが、この記事では、親に感謝するのは当たり前という世間一般論から離れたいと思います

 

ある時言われたことは、

「あなたの母親はあなたを愛しているよ」

ある時は

「愛情が伝わりにくい家庭だったのかもしれないね」

「そうですね」

その場しのぎの意見返し

それでも頑固な自分の心の叫びは違った

 

 あなたが私になってみないとわからない

愛情が伝わりにくいのでなくて、ない

 

母親の知り合いに、

「もう少しお母さんに優しくしてあげて、そうじゃないとお母さん壊れてしまうよ」

と言われた事があった

「大学費用は親に出してもらったの..?」

「はい...」

 とてつもない怒りと憎悪が自分の中に沸き起こった感覚を今でも覚えてる

私が受けた苦しみはお金の問題ではないと叫びたかった

そう考えると同時に罪悪感に苛まれる

 

「本当に愛情がなければ、お金なんて出さないよ」

そうなると、愛情をここまで感じられないのは、自分の認知が歪みすぎているのか

小さい時の記憶をどうにか辿っていっても、自分が父親、母親とも両方繋がっている感じが昔からなかったし、今もない

 全ては義務感から来る頑張りだけで子供を育ててしまった

私からはそういう風に映る

それに加えて、本人が無自覚であるのが、また私を絶望感に苛ませます

 

そう、でも悪気はなかった、仕方がなかった

親自身も愛情に飢えていたから 

そう捉えようと必死に頑張っても心の底の欲求は溜まったまま

 

心の成長は、安心感を体験して初めて得られる?

最近よく思うことは、得るものを得れないと人間は成長できないのではと

ゲームで、あるアイテムを取らないと、次のステージには確実に上がれない

人間の心も同じと言っても過言ではないのかなと

 

無理やり、ないものをあるように頑張ったところで、無理やり、親を理解しようとしたところで、時間が経過したところで、心の成長が次の段階に進むことはあり得ないのかと

ただ、ここで壁につまづく

当の親にこのアイテムを与える能力はない

 

最近行ってる心理士の先生に、「ここが仮の安全基地だとしても、それはとても意味があることで、ここで安心して自分の感情を出していってください」

そう言われた時、体のどっかが少し軽くなった感じがしました

自分が一番望む形出なくても、そういう場所を作ることはとても大事なんだと考えるようになりました

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自分の生きづらさと親の生きづらさの原因は共通している

死んでも親みたいにはなりたくないと言うのが自分の一番の支えだった

母親を見る度に、社会性がなく、世間のつまはじきである姿が映り、この人が自分の母親であるというだけで嫌悪感が湧きました

 

母親のようになると、社会から疎外されて、軽蔑されて、社会のゴミになる

だからこそ、母親のようになりたくないという恐怖心に煽られます

最近、母親をよく観察するようになってから、あまりにも自分と共通点が多すぎて、母親と自分は実はそっくりなのではないかというのが、疑問ではなく、確信に変わってきたため、ショックで絶望感に苛まれたことがありました

 

母親が常に世間体ばかり気にして、世間と同じようになることに重きを置きすぎている考えをひどく嫌っていましたが、結局自分も母親と同じような目線で世界をみているのではと気づきました。

 

社会に受け入れられることがそんなに大事なのか

なぜ母親はそのままではダメなのか

 なぜ死んでも母親のようにはなりたくないとまで考えるのか

 

それは、単に母親への恨みだけでなく、恐怖から来るものもあると思います

だから常に、このままの自分ではダメだから、何か行動を起こさないと、何かをしないとと焦っています

そこに自分がやりたいからとか、興味があるからという動機がないというか、あるのかないのかも分からない

焦りから何かを始めて、結局本当にそれがやりたかったのかどうかも分からない

からしんどい

何をするにしても、自信が持てないし、形式でしかない

 

私は、それを今までも今もずっと繰り返しているような気がします

こないだのカウンセリングでは、

「まずそこに気づけただけでも第一歩ですよ 

自分がしんどいことに気づけない人もいますから」

その言葉を言われた時に、真っ先に母親が浮かびました

 

なぜ母親がこんなにも常にイライラして、他人に厳しいのか

母親自身が自分を認められないから、特に自分の子供である私にここまで厳しすぎるのか

 

自分自身が持つ恐怖に自分の生きづらさが隠れている

最近読んだ心理学の本に書かれていた事です

 

母親も私も苦しめているのは、そこなんじゃないかと

全ては社会から受け入れられるため

全ては人から受け入れられるため

 

人間の三大欲求に、集団欲が入っているとする人がいるそうです

www.motivation-up.com

周りと同じでないと不安、恐怖が押し寄せてくる

 

私の場合、周りと少しでも違うとそれだけで生きにくくなる日本社会を恨む一方で、周りと違うことを異常に恐れている自分もいて、この感情が常に戦っているからしんどいのかと思います

社会の矛盾を恨みつつも、恐怖から、自分もその矛盾に従おうとしている矛盾

 

絶望感しかない中で、ほんの少しの光が見えた気がする考え方のシフト

「 社会に受け入れられたいとか、世間的にちゃんとした人になりたいと思うことも健康的な感情であるし、逆にそこに逆らう感情があるのも健康的だと

そのどっちかの感情でなくてはならないと思う必要はなくて、そういう感情が両方自分の中にあっていいんですよ」

 

心理士の先生にそのようなことを言われた時に、心のどこかで少し落ち着けた感じがしました

まだ、絶望感がほとんどで、ほぼ焦りでしかないですが、自分のことを理解していく第一歩だと考えたいです

 

 

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自分が1番落ち込むことは、どこに行っても自分が軽く扱われること

この空間で自分だけきつく当たられている感覚がいつも一番辛い

最近、学校の授業を受ける際に、

自分への言い方がきつすぎる教師がいる

 

遅刻もしない、宿題もちゃんとまじめにやってくる、授業もまじめに受けるのに、とにかく何かしら欠点を見つけて指摘してくる

他の人には、気を使って褒めることが多い

自分はとにかく気を使われずに、軽くあしらわれて、揚げ足を取るような態度をとられる

 

ある生徒:ねー、〇〇は今日何勉強したらいいー?

教師:今日はねー、これを勉強してみようかー

   私〇〇と気が合うのよねー

でも〇〇やる気なくなると、来なくなっちゃうのよねー

心配だからちゃんと来てねー

 

自分はまじめにやってるのに、評価されない、それは今までずっとそう

その子は、まじめにやってないし、物をよく忘れてきたり、遅刻したり、課題もやってこない、やる気もないのに、好かれて、評価される

 

その矛盾が何よりも腹立つし、やるせなさを感じさせる

 

どこに行っても、だいたい同じ目に合う

ということは、自分に原因があるのか

 

私がその教師

を心の中で差別しているから向こうもそういう目で見てきて、結果そういう扱いになるのか。

 

だから、そういう目で見ないように必死に努力をした

 

もちろん媚びたり、ごますりは昔から得意でないというか、全くできない

仮にそれができないのが原因だったとしても、媚びたりゴマすりを全くしない人は自分だけではないので説明がつかない

 

しかもその人は普通に扱われている

 

いつも自分にだけきつく当たられる環境は、今回だけではない

何年か前の職場で、病的に仕事ができない人がいた

仕事の引き継ぎの時、その子が書いたメモが散乱していて、しかも何を言いたいのか分からない上に、余計に仕事を増やしてしまうことが多かった

周りも自分も、影でその子の悪口を言うようになったけど、上が恐ろしいほど優しかった

 

ただその上司は、私が少しでもミスをすると、問い詰めてくる

とにかく言い方がきつすぎる

それは自分だけが思っているのではなく、周りも感じて口にしていた

 

「あなたは、ちゃんと一生懸命真面目に仕事やってるのに、あの言い方はないよね、そらあんな言い方されたら腹たつよね、、、しかも、あの子には、何であんなに甘すぎるんだろうね」

 

 

それがずっと今までの人生で繰り返されている

このサイクルは死ぬまで続くなら、生きている意味があるのかと考えたりします

 

「あまり、人からどう思われているかを気にしない方がいいよ」

この言葉は、今まで、いろんな人に言われてきたアドバイス

 

最初は、気のせいじゃないのかなーとか言っていた人でも、次第に、「もう気にしないのが一番だよ、仕方ないよ」というアドバイスに変わる

 

心療内科に行くようになって、意見を求めたところ、

恐らく母親との拗れた関係がそのまま、別の人と繰り返されているのが原因ではないかと言われた

納得できるところはあるけど、自分でどうすることもできない

 

自分がますます人嫌いになり、ますます社会に恨みを持つようになる

どう足掻いてもこういう扱いから逃れる手立てはなく、受け入れるしかないのが現実だと考える度に、自分の中に怒りがますます蓄積されていく感覚があります

 

ニュースなどで、今まで大人しかった人、真面目だった人が急に事件を起こしたニュースを見るたびに、ひどく共感できるし、いつか衝動的に自分も何かを起こす日が来るんではないかと思ったりします

 

 

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自分には助けが必要と察したら、外部に助けを求めることの大切さ

 外部に助けを求めることは甘えではない

今年に入ってから、心理学の本を読み漁るようになりました。

いろんな心理学の本をを読み進めていくうちに、自分の心理状態のメカニズムが分かってきた気がして、回復してきていると思いたい欲求が先走り、大丈夫だと思おうとしていましたが、実際は、現実を直視すればするほど、負担を感じるようになりました

 

そんな時に、話を聞いてくれる人が身近にいない私にとって、お金を払ってでも、きちんと聞いてくれて、かつ自分の心理状態を客観的に見てくれる人に聞いてもらうことが、今の自分に優先すべきことだと考えるようになってきています。

 

特に自分の親が毒親だと感じている人の場合、たいがいその周りの人たちもあまり理解がある人たちではないと思います。

特に私の場合は、世帯連鎖のため、なかなか身内に助けを求めることが難しいです

そんな自分の状態を嘆いていましたが、それを解決するには、外部に助けを求めるしかないのです

もちろんカウンセラーもいろいろいますし、相性の良し悪しもあるので、見極めも大事だとは思いますが

疑心暗鬼になっていると、誰かに話を聞いてもらうことにも抵抗があり、攻撃されるのではと考えるため、なかなかカウンセリングに足を運ぼうとも思えませんでした

 

最近自分が成長できたと思うことは、自分ひとりで解決することは不可能なので、誰かの手を借りてみようと周りに助けを求められたことです

それは、決して甘えではなく、必要なことだと自分なりに実感できたからでしょうか

 

自分でどう頑張ってあがいても、処理できない感情を、そのまま放置し続けてしまうと、結果的に精神崩壊を招き、周りに当たり散らす形でしか発散できなくなったり、自分が何をしたいのか、何が何だか分からなくなる気がします。

 

 自分の精神状態に自分で気づくことの大切さ

自分の精神状態を自分でわかっていることがいかに大事かと最近考えるようになりました

自分の精神状態を知ることは、自分をある程度客観的にみる必要もあり、今の自分の精神状態が安定していないと自分自身で認めることも、結構勇気がいることなのかもしれないと思います

自分の心の状態を知るというのは、現実の自分を直視することで、想像以上に非常につらいことです

 

今までの自分なら、自分ではなく、周りがおかしいと考える傾向にありました

カウンセリングに行かないといけないのは、むしろ向こうだと

もちろん、救いようのない人や、クセのある人はたくさんいるでしょう

周りのおかしさに気づくスキルも大事だとは思いますが、自分を救えるのは、やっぱり自分しかいないのだと

 

自分に自分は大丈夫だと言い聞かせて、お金を払ってまで、精神科でカウンセリングを受けることに羞恥を感じ、行くことに抵抗感しか感じられませんでした

それでも最近は、カウンセリングは、意味がないことではなく、通う価値はあるのではと考えるようになりました。 

 

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毒親に生まれたら人生終わりと考える底のない絶望感

人生終わりと考える底のない絶望感 

最近少しだけ自分で変わったのではと思ったことがあります

それは、この親に生まれたら人生終わりという底のない絶望感が少し和らいできている気がすることです

 

インターネットを見ていると、親がいかに子供に影響を及ぼすか、小さい頃の教育、愛情がいかに大事かという記事が嫌ほどたくさんあります

2歳を超えるともう遅いだとか

もう、とっくにその時期を過ぎてしまった私はどうなのか

手遅れすぎるのか

 

そう考え始めると、親への怒り、恨みが充満してきて、それしか考えられなくなることがよくありましたし、今でもあります。

どうあがいてもまともな家庭に育ってきた人達のようには死んでもなれないという底のない絶望感

仮にいつか結婚できても親のように破滅的な関係になって終わる

朝起きる度に絶望感に苛まれる、夜寝る前も

 

こんな家族にさえ生まれてなれけば

あの母親さえいなければ、、

一旦ハマると、どこまでも続く洞窟のようにその思考から抜けることはできない

 

だいぶ昔ですが、恐らく父親が出て行き、次は亡くなったと聞いた後に、母親が寝てる間に寝室に、包丁を握りしめて入っていった時の記憶を覚えてます

数秒だけ立ってすぐ出て行き、もちろん何もしていないですが、その時に覚えた殺意の感覚が今でも蘇ります

  

人との関わりが分からないのは、親のせいだ

私がこんなに人間関係で苦労し、親友一人もできないのは親と関係を築けなかったからだ

 

きっと実際そうなのでしょう

原因はわかりました。

はい。ではどうもがいたところでもう私の人生は終わり

 

一旦そう考えると何をする時も、あーこの仕事はコミュニケーション能力がいるからダメだ、

あーこれもダメ、全部消去法

 

普段誰かと会って自分が軽く扱われたと感じると、あー今まで家族にさえ軽く扱われ続けられたから、他の人も同じようにあたしを軽く扱うんだろう

 

成功している人、幸せそうな人を見ると、大概親と仲が良かったり、親が自分の見本だとか、自分の親に感謝しているという言う人に会うことが自分の経験上多いため、すぐに妬み、羨んでしまう

 

 世の中は不公平にできている

 

何かある度に世の中は不公平だと嘆き続けていました

実際不公平なんでしょう。

嘆いて親に反抗して、訴えても、なにも理解されない、周りに理解してくれる大人もいなかったし今もいない

 

そんな中、最近かすかな希望と呼べるものみたいな考えのシフトは、自分次第で変わることもできるのではないかということです

 

というか自分を幸せにできるのは残念ながら自分しかいないと自覚した瞬間

嘆き続けて周りがあやしてくれるのを期待しても離れていかれるだけ

 

そんな中よくここまで自分は頑張ってきた

生きてこれただけでも偉いと最近思います

 

嘆き続けるのも自由ですが、親にもそうなった原因があったから憎しみを持ち続けていてもしょうがないと思うのも、何を思うのも自由なんだと

ならどっちの思考が自分のためになるのか

 

それを考えるようになりました

 

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