人生終わりと考える底のない絶望感
最近少しだけ自分で変わったのではと思ったことがあります
それは、この親に生まれたら人生終わりという底のない絶望感が少し和らいできている気がすることです
インターネットを見ていると、親がいかに子供に影響を及ぼすか、小さい頃の教育、愛情がいかに大事かという記事が嫌ほどたくさんあります
2歳を超えるともう遅いだとか
もう、とっくにその時期を過ぎてしまった私はどうなのか
手遅れすぎるのか
そう考え始めると、親への怒り、恨みが充満してきて、それしか考えられなくなることがよくありましたし、今でもあります。
どうあがいてもまともな家庭に育ってきた人達のようには死んでもなれないという底のない絶望感
仮にいつか結婚できても親のように破滅的な関係になって終わる
朝起きる度に絶望感に苛まれる、夜寝る前も
こんな家族にさえ生まれてなれけば
あの母親さえいなければ、、
一旦ハマると、どこまでも続く洞窟のようにその思考から抜けることはできない
だいぶ昔ですが、恐らく父親が出て行き、次は亡くなったと聞いた後に、母親が寝てる間に寝室に、包丁を握りしめて入っていった時の記憶を覚えてます
数秒だけ立ってすぐ出て行き、もちろん何もしていないですが、その時に覚えた殺意の感覚が今でも蘇ります
人との関わりが分からないのは、親のせいだ
私がこんなに人間関係で苦労し、親友一人もできないのは親と関係を築けなかったからだ
きっと実際そうなのでしょう
原因はわかりました。
はい。ではどうもがいたところでもう私の人生は終わり
一旦そう考えると何をする時も、あーこの仕事はコミュニケーション能力がいるからダメだ、
あーこれもダメ、全部消去法
普段誰かと会って自分が軽く扱われたと感じると、あー今まで家族にさえ軽く扱われ続けられたから、他の人も同じようにあたしを軽く扱うんだろう
成功している人、幸せそうな人を見ると、大概親と仲が良かったり、親が自分の見本だとか、自分の親に感謝しているという言う人に会うことが自分の経験上多いため、すぐに妬み、羨んでしまう
世の中は不公平にできている
何かある度に世の中は不公平だと嘆き続けていました
実際不公平なんでしょう。
嘆いて親に反抗して、訴えても、なにも理解されない、周りに理解してくれる大人もいなかったし今もいない
そんな中、最近かすかな希望と呼べるものみたいな考えのシフトは、自分次第で変わることもできるのではないかということです
というか自分を幸せにできるのは残念ながら自分しかいないと自覚した瞬間
嘆き続けて周りがあやしてくれるのを期待しても離れていかれるだけ
そんな中よくここまで自分は頑張ってきた
生きてこれただけでも偉いと最近思います
嘆き続けるのも自由ですが、親にもそうなった原因があったから憎しみを持ち続けていてもしょうがないと思うのも、何を思うのも自由なんだと
ならどっちの思考が自分のためになるのか
それを考えるようになりました