お母さんという存在の大きさ

お母さん

亡くなった方のことをあまり書くべきではないかもしれませんが、少し書かせて頂きます。

三浦春馬さんも、KARAのハラちゃんも、お母さんとのことでかなり悩んでいたように見受けられます。

 

両親にお金をせがまれるという経験は私自身したことはありません。

春馬さんは、お母さんの戸籍をぬいて、事実上家族ではなくなった。

それでも、自分を生んでくれたのはまぎれもない母だという罪悪感にさいなまされていたのかもしれません。

 

お母さんに愛されたかった

それにつきるのかもれません

 

私は、毒親と離れる方法だとか、母親をいかにして自分から切り離すかということに重点をおいて今生きています。

 

こんなことをされた、あんなことをされた、絶対に許せないって

怒っていいんだよとセラピーの方にも言われて

頑張ってそう思おうとしています。

 

それでも、時折、いやいつも母親がふとよりぎります。

こないだあまりにも寂しくて母親に電話をかけてしまいました。

その時、私にどうしてほしいのと聞かれ、なにも言えませんでした。

 

「愛されたい」なんて本人には言えない

だって愛する能力なんてないから

 

それでも愛されたい

憎悪と寂しさと罪悪感といろんな感情で頭の中がいっぱいになります

なにがなんだか分からなくなります

 

でもひとつだけ言えること

お母さんという存在はとてつもなく大きいものだと

 

お母さんがお母さんではない場合、離れるしかない

でもお母さんに子供を愛する能力がないと、子供はどこに愛情を求めればいいんでしょうか

 

世間で成功すること?

仕事で認められること?

 

必ずどこかに代わりを見つけようとします

私も例外ではないかなと

 

それでも、お母さんが「お母さん」じゃない場合、離れないといけないと私は思います。

もしお母さんが子供にかまって欲しいだけの場合、子供を自分をよく見せるための道具としか考えていない場合、お母さん自身が赤ちゃんの場合、そのお母さんの母親になるために生まれてきたわけではないと

 

そう言い切っても、どんなに決心しても、何年も会っていなかったとしても、母親はついてまわります。目の前にいなくても、脳裏にずっとついてまわります。

 

母親と関係を当たり前に築けている人が死ぬほど羨ましい

何かあれば、母がいると自然に思えている人が死ぬほど羨ましい

 

私もそんなお母さんに生まれたかった。。

 チキン、卵 - ヒヨコのロイヤリティフリーストックフォト